
今巻では新兵についての記載が多め。
ライン戦線に投入された新兵が戦争について学び、
戦場に馴れるまでの一幕が描かれます。

その中で、超常の力を持たない一兵卒の視点から見た、
地獄のような戦場において一際美しく輝く存在である、
「白銀」ターニャ・デグレチャフが語られています。

ここが地獄ならば
その地獄を自在に飛ぶ彼らは悪魔だろうか
味方の上げる歓声
我らを勝利へ導く女神
だが敵からはこう呼ばれているらしい
「ラインの悪魔」と

白銀はまるで誘蛾灯の如く
敵味方の軍を集め戦場を作り上げる死神だった
女神と呼ばれ、悪魔と呼ばれ、死神と呼ばれる。
戦場という非常な空間にあって、
ターニャへの評価は立場によって様々に変わりますが、
その彼女にしてみても、神と名乗る存在によって、
無理矢理戦場に放り込まれた被害者でもあります。
以前の巻において、この世界の神々たちは、
「戦争こそ信仰心を高める最良の手段」
というような会話をしていました。
一方で当のターニャは、危険の少ない後方勤務を望んでおり、
何よりも戦争が早く終わることを願っています。
戦争を信仰心を高める手段と考える神たちは悪魔的であり、
敵味方から悪魔と恐れられるターニャは、一方で女神と讃えられ、
戦争の早期終結を願いながら戦場を駈け巡り、死を撒き散らす。
神と悪魔は表裏一体であり、
どちらもそう変わりがないということでしょうか。
「聖☆おにいさん」16巻

神と悪魔が登場する漫画といえばこの作品。
今巻ではブッダを誘惑する悪魔マーラや、
堕天使ルシファーが登場していますが、
どちらもおよそ悪魔とは言い難い人柄です。

特にルシファーは、自ら神に反旗を翻した元大天使であり、
現在は神の規範から外れた者達を糾合する大悪魔なのですが、
その面倒見の良さや懐の深さには親しみや敬意を覚えます。
対してこの作品に登場する神々は、キリストの父たる神を筆頭に、
帝釈天や弁財天など、自分勝手でワガママな人たちばかり。
この、理想と現実が逆転した悪魔と神の関係は、
この作品のギャグの基本を成す部分ではありますが、
先ほどの「幼女戦記」でのターニャの評価と併せて考えると、
神も悪魔も、人の心が生み出した存在であり、
その評価は人によって如何様にも変わることが良く分かります。
絵柄もお話も構成も、何もかもが全然違う両作品なのですが、
同じタイミングで出た新刊を読み比べたことで、
神や信仰について考えるきっかけとなりました。
そういえば「聖☆おにいさん」の鉄板ネタで、
命の危機に瀕している人がブッダやイエスの姿を見て死を覚悟する、
というのがあり、今巻でもありました。
「幼女戦記」において神とも悪魔とも呼ばれるターニャは、
実際に周りの人々に死をもたらす存在として描かれます。
結局、どんな世界でも「神」と「死」は、
常にセットで語られるのだなあと感じた次第。